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小国を波良郷(原野の郷)<930和名抄>と呼び、畜産が郷土経済の優位を占めた時もあり、すぎ山<1097阿蘇宮神領>の別名は、当時自然杉が見事であったことから名付けられたものでしょう。
この景観は、涌蓋山や鉾杉に代表されるように、小国の自然美であり、先人はこれらを愛し、慈しみ、「国小ナリトイエドモ住吉ノ国ナリ」<神話>と言う通り、住みよい小国を築き上げてきました。
優しく、瑞々しく正々溌剌とした自然に感化された小国の人々に、古くから詩があり、短歌が生まれ、俳句の里になったのも、むべなるものがあります。
小国郷の指導者は、「小国の発展は、教育によって人を作り、道路を開いて産業を開発することである」<明治4年>と説いています。
本校は、明治6年12月熊本より師を招き、旧戸長詰所を教館として、明倫舎と名付けてスタートしている。時は、政府のそれよりも先んずること2年、その名は人倫を明らかにすることを目途とした先人の卓識に驚嘆するものです。
本校への通学は、行政区大字宮原中心で、大字上田の一部を包含し、東西7Km、南北3Kmです。清流「静川」と「志賀瀬川」の合流点に形成された僅かの平坦地が市街地となり、児童のほとんどがここに居住してます。
昭和30年代に1200名を越えていた児童数も漸次減少をたどり、本年度は363名となっています。近年、町の施策による「悠木の里」づくりによる取り組みは、町民全てに浸透し一体となった町起こしで、名実ともにその名も高まり、特色ある町として注目されて来ています。そうした中で、人々は、純朴・勤勉で、平素、質素倹約、小を積んで根気よく蓄積して大をなす、と言われた気風も、現今では、時代の流れとともに、文教への関心は更に高く、職業も多岐にわたり、学校教育に対しての要望も多く熱心です。
PTAは、役員を中心に積極的な活動が続けられ、その実績も上がり、特に、児童の健全育成に対する取り組みは顕著なものがあります。また、本校の伝統となってきた天草の松島町(今津小学校)とのホームステイ交流は、小国町PTA連合会行事に発展しています。
一方、宮原小学校後援会からは、施設の充実、ユニフォームの購入、各種補助等に多大の後援をいただいています。
